あなたが選ぶ!最強戦国武将決定戦

応募期間:11/20(金)~12/20(日)

あなたの選んだ武将 聖地巡礼ツアーが当たる!

戦国の世を駆け抜け、現代にまでその名を轟かす数多の戦国武将たち。武力、知略、統率力、政治力……武将の数だけ“最強”の種類はあるが、果たして、本当の「最強戦国武将」は誰なのか。

結果発表

1位 織田信長

2位 伊達政宗

3位 真田幸村

4位 武田信玄

5位 本多忠勝

6位 豊臣秀吉

7位 上杉謙信

8位 直江兼続

9位 加藤清正

10位 島津義弘

11位 徳川家康

12位 長宗我部元親

13位 黒田官兵衛

14位 柴田勝家

15位 島左近

エントリー武将

史上最強の武将15人!

上杉謙信 生涯不敗を誇った越後の軍事カリスマ

越後国(新潟県)の守護代長尾為景の子に生まれる。本名は長尾景虎で数度にわたり改名する。病弱で武将としての資質に欠ける兄晴景に代わり家督を継ぐ。武田信玄に追われた信濃国(長野県)の武将や、関東の北条氏康に敗れた山内上杉憲政らの依頼を受け、川中島や関東各地にたびたび出陣。上杉憲政より関東管領職と上杉家の家督を譲り受け、上杉輝虎と名乗る。謙信は出家後の法名。朝廷や室町幕府の再興を願い織田信長との対決を決意するが、脳溢血に倒れ生涯を閉じた。

上杉謙信的最強POINT

幼少期、春日山城下の林泉寺で住職の天室光育から学問指導を受けたが、兵学にあまりに熱中したため、天室光育から「坊主はムリ」と帰されてしまった。

生涯を通じ70回に及ぶ戦を経験するが、そのほぼすべてに勝利し、明確な敗戦はなかったという。

好敵手の武田信玄と繰り広げた戦いで、最も激戦となった第4回の川中島の戦いで、信玄の「啄木鳥戦法」を見破り、敵方の山本勘助を死に追いやるなどの戦果をあげた。

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織田信長 「天下布武」を掲げた戦国随一の革命児

尾張国(愛知県)守護代の家老家に生まれる。幼少期は「うつけ」と呼ばれたが、家督を継ぐと尾張国統一に成功。桶狭間の戦いで今川義元を破り頭角を現す。足利義昭を奉じて上洛を果たし、義昭を将軍の座につけて天下統一事業へと乗り出す。新たに築いた安土城を本拠として毛利、上杉、武田、本願寺との戦いを繰り広げ、武田を滅亡に追い込んだ直後、天下統一を目前に控えながら、家臣明智光秀の謀反により、本能寺で横死した(本能寺の変)。

織田信長的最強POINT

敵の一番首を挙げた兼松又四郎という下級武士に、いつも腰に提げている短い草鞋を褒美として与えた。「この草鞋はその方のような勇者が現れるのを待っていた」と。兼松は感泣し、生涯の忠誠を誓ったという。

羽柴秀吉の浮気が原因で、妻おねと間不和となったと知り、信長はおねの妻としての働きを褒め称え、励ます手紙を書き、部下の妻にも気働きする意外な一面を見せた。

武田家と闘った長篠の戦いの折り、徳川方の奥平家家臣の鳥居強右衛門が、自らの命をなげうって長篠城を守ったことに感じ入り、自ら指揮して強右衛門の墓を建立したという。

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加藤清正 秀吉の忠誠心に生きた築城名人

尾張国(愛知県)の土豪の子。親戚に当たる秀吉に小姓として仕える。その後、鳥取城攻めや山崎の戦いなど、秀吉の重要な戦いに従軍。賤ヶ岳の戦いでは「七本槍」に一人に数えられる武功を挙げる。九州征伐後は肥後国(熊本県)半国の大名となり、朝鮮出兵では先鋒として活躍。秀吉死後、関ヶ原の戦いでは熊本帰国していたが東軍に属し、西軍の城を落とした軍功で肥後一国の領主となる。秀吉の遺児秀頼の行く末を按じつつ、病に倒れた。

加藤清正的最強POINT

朝鮮出兵の折り、未完成の蔚山倭城にわずか500の兵を率いて立てこもり、援軍が来るまで57000の明・朝鮮軍を相手に耐え忍び、この戦いを勝利に導いた。

関ヶ原の11年後、豊臣秀頼と家康が京都で会見したとき、清正は秀頼につきしたがい、家康が危害を加えないよう常に目を光らせ、身を挺して秀頼を守ったという。

清正は築城の名手として知られ、熊本城のほか江戸城、名古屋城などの築城にも手腕を発揮した。約260年後の明治10年、熊本城は西南戦争の舞台となり、その優秀さを証明した。

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黒田官兵衛 秀吉を天下人にし、恐れさせた軍師

播磨国(兵庫県)の小寺家家臣、黒田職隆の子。織田信長の実力と将来を見抜き、いち早く帰属。秀吉配下となり、中国攻めに協力する。信長家臣の荒木村重が謀反を起こした際は説得に赴き、一年あまり監禁されて足に障害を負う。自由の身となってからは秀吉の軍師的な役割をつとめ、天下統一戦のすべてに関わり、朝鮮出兵にも従軍した。その才覚を恐れた秀吉に疎まれ、息子長政に家督を譲り隠居したという。切支丹大名としても知られている。

黒田官兵衛的最強POINT

備中高松城攻めのさなか、本能の変の一報を受けて動揺する秀吉に対し、官兵衛は「御運が開く始めでありますぞ」と言い放ち、天下取りを教唆したという。

関ヶ原の戦いのとき、戦いが長期化するとみた官兵衛は、西軍方の城を次々と落として九州を席巻した。東西のどちらが勝っても、最後の大勝負を挑むつもりだったとう。

関ヶ原で活躍した嫡男長政が、家康がわが手を取って感謝したと報告すると、「左手は何をしていた」と官兵衛は聞く。家康を殺して天下を取るチャンスだったではないかとの含意。

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真田幸村 家康を恐れさせた「日本一の兵」

信濃国小県郡の領主真田昌幸の二男。父昌幸の政治的立場にしたがい、上杉景勝、ついで豊臣秀吉のもとで人質生活を送る。秀吉の小田原攻めの際に初陣を果たしたとされる。関ヶ原の戦いでは兄信幸が徳川方についたが、幸村は父ともに西軍につい上田城に籠城、徳川秀忠軍を撃退する。西軍が敗れたため父とともに九度山に配流となる。雌伏15年、大坂の冬の陣では手勢を率いて大坂城に入り、真田丸を築き奮戦。夏の陣では奮戦むなしく討ち死にした。

真田幸村的最強POINT

大坂冬の陣の講和の際、徳川家康は幸村の叔父の真田信尹を派遣し、信濃国(長野県)一国の譲渡を条件に幸村を寝返らせようとするが、幸村は「一国で不忠者にはならぬ」とはねつけた。

大坂の夏の陣の「道明寺の戦い」大坂方が敗れて撤退した折、幸村は伊達政宗の部隊を撃退してやすやすと撤収に成功。「関東の武士は100万いても、本当の男は一人もいない」と挑発した。

大坂夏の陣で徳川家康本陣に突撃。家康の馬印は倒れ、家康本人も二度も死を覚悟したという。その奮闘振りを島津忠恒は「真田日本一の兵」と褒め称えた。

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柴田勝家 鬼柴田の異名を持つ織田家の重鎮

信長の父織田信秀の代からの重臣。織田家随一の猛将として知られる。信長の弟信勝を押し立てて謀反を企むが稲生の戦いで信長に敗れて帰服。以後は忠実な家臣として信長に仕えた。北陸方面軍の指揮官として加賀一向一揆を制圧。越後国(新潟県)の上杉謙信に対抗した。本能寺の変の後は信長の妹市を妻とし、信長の後継者をめぐり秀吉と対立。賤ヶ岳の戦いに敗れて北ノ庄城に籠城し、市とともに自害した。

柴田勝家的最強POINT

兄織田信長への謀反を企んだ信勝に一度は同調した勝家だが、再度信勝が蜂起したときには見捨てたため、信勝は殺される。勝家は罪滅ぼしのために信勝の遺児津田信澄を養育した。

六角承禎に水の手を遮られた柴田勢。このままでは渇死するとみた勝家は、あえて水を貯めている瓶を兵の前で割って兵を鼓舞し、勝利を収めた。瓶割り柴田の異名の由来。

賤ヶ岳の戦いで秀吉に敗れ本拠北ノ庄に戻る途中、敗戦の原因となる「裏切り」をした前田利家に対面し、責めるどころか長年の働きを称えて秀吉の元で生きるよう勧めたという。

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島 左近 「三成に過ぎたるもの」と賞賛された名将

本名は島清興。大和国(奈良県)の国人領主で、河内国(大阪府)守護の畠山氏に仕えていたが、畠山氏の没落後は大和国の武将筒井順慶に登用されて侍大将となる。順慶の死後、筒井家を離れ豊臣秀長らに仕えた後、浪人となり、石田三成に破格の待遇で迎えられる。三成に従い、朝鮮出兵にも従軍した。関ヶ原の戦いでは夜襲を提案するが却下されたという。本戦では奮戦の末、東軍の黒田勢に銃撃され命を落とした。

島 左近的最強POINT

浪人の身の島左近は、石田三成に自分の禄高の半分を与えるという破格の条件で召し抱えられたため、「三成に過ぎたるものが二つあり、島の左近と佐和山の城」と歌われた。

関ヶ原の前哨戦において、江戸にいたはずの徳川家康が美濃国(岐阜県)に到着したことに動揺する西軍の味方を鼓舞するため、手勢を率いて杭瀬川の戦いに挑み勝利を収めた。

関ヶ原の戦いでは自ら陣頭に立ち、獅子奮迅の働きを見せ、黒田長政、田中吉政の軍勢に突入。黒田勢のなかには、後年までそのときの左近に対する恐怖にうなされる者がいたという。

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島津義弘 鬼島津と恐れられた猛将

薩摩・大隅などを領する名門島津家に生まれ、兄義久を補佐して島津家の九州制覇を目指した。豊臣秀吉に降ってからは、島津家を代表して秀吉の天下統一戦に参加。文禄・慶長の役では朝鮮に渡り大活躍をする。秀吉政権からは島津家の当主として扱われたが、家督をついだ事実はない。関ヶ原の戦いでは西軍につくが、石田三成と対立して戦闘には不参加。敵中突破で帰国を果たし、徳川家康との粘り強い交渉で本領を守った。島津家の家督は、義弘の子忠恒が継承した。

島津義弘的最強POINT

家督を継いだ兄義久に代わり前線指揮を執り、伊東義祐を敵に回した木崎原の戦いでは、300の兵をもって3000の敵兵を奇襲して勝利を収めた。

朝鮮出兵の折、義弘が率いる島津勢は破竹の勢いで朝鮮・明軍を打ち破り、そのあまりの強さに「鬼(グイ)石(シー)曼(マン)子(ズ)(鬼島津)」と恐れられた。

関ヶ原合戦で西軍は敗れるが、無傷の島図勢は敵の大将徳川家康の正面を突破して戦線離脱する「島津の退き口」と呼ばれる決死の退却戦を繰り広げ、薩摩の帰国を果たした。

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武田信玄 戦国「最強』武田軍団を率いた闘鬼

甲斐国(山梨県)の守護武田家の嫡男に生まれる。本名は武田晴信で、信玄は出家後の法名。父を追放して家督を継ぐと、信濃国(長野県)に進出。小笠原長時や村上義清を追放し、信濃全域を支配。彼らが頼った越後の上杉謙信と川中島付近の領有をめぐって数度にわたり戦国有数の規模の戦いを繰り広げる。その後、駿河国(静岡県)方面に進出し。三方が原の戦いで徳川・織田連合軍を破るが、病を発した陣中で没した。

武田信玄的最強POINT

父信虎の時代、対外戦争の連続で高まる家臣の不満が高まった。信玄は親不孝の謗りを承知の上で父を今川家に追放して家督を継いだ。

『甲陽軍鑑』によれば、三ツ者、素破と呼ばれる隠密組織を駆使し、敵方のみならず日本中の情報収集を行ったという。

『甲州法度之次第』と呼ばれる戦国家法を定めて家臣団を掌握し、「信玄堤」に代表される治水事業を進め、金山開発により甲州金の鋳造を始めるなど、領国統治・内政に手腕を発揮した。

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伊達政宗 独眼竜と恐れられた東北の覇者

出羽国(山形県)米沢城主の伊達輝宗の長男。幼少の頃、右目を失明。のちに「独眼竜」と畏敬された。18歳で家督を継承。23歳のときに摺上原の戦いで宿敵蘆名義広を破るなど、奥州の覇者への道をたどるが、小田原に参陣して天下人秀吉に下り、豊臣大名として生き残る。秀吉氏語は徳川家康に接近し、関ヶ原の戦いでは東軍として上杉景勝を牽制。最上氏を救援した。家康、秀忠から後事を託され、三代将軍家光の時代まで影響力を維持した。

伊達政宗的最強POINT

隠居の身だった父輝宗が二本松城主の畠山義継によって拉致されたとき、政宗は肉親の情を断って、輝宗ごと敵を射殺するという苛烈な処置をみせた。

朝鮮出兵の折り、政宗は自軍の軍勢に絢爛豪華な戦装束で行軍させ、京都の町衆の目を驚かせた。以来、派手な衣装をスタイリッシュに着こなす人物を「伊達者」と呼ぶようになる。

スペイン(イスパニア)との通商を図り、家臣の支倉常長らをローマに派遣。ヨーロッパに衝撃を与えるともに、伊達家の外交力、先見性を内外に見せつけた。

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長宗我部元親 一代にして四国統一目前まで迫った風雲児

土佐七雄の一人と呼ばれた長宗我部国親の長男、父の死後、有力国人を次々に降して土佐一国を統一。土着の地侍である「一領具足」を駆使して阿波国(徳島県)、伊予国(愛媛県)、讃岐国へと勢力を広げた。織田信長とは友好関係にあったが元親の四国平定が目前に迫ると信長と対立。信長は四国派兵を予定していたが本能寺の変により頓挫した。秀吉とも対立したが、秀吉の弟秀長の四国遠征を受けて降伏。秀吉の天下統一戦に参加した。

長宗我部元親的最強POINT

幼い頃は柔弱な印象から「姫(ひめ)若(わ)子(こ)」と呼ばれていたが、本山氏との戦いで23歳にして遅い初陣を経験。自ら槍をとり奮戦し、評価を一変させた。

讃岐国(香川県)を攻めたとき、敵を兵糧攻めにするため城付近の麦を刈り取らせたが、領民の困窮を慮り、半分だけ刈り取るよう命じた。領民は元親に深く感謝したという。

戸次川の戦いで長男を失った元親は、4男盛親にスムーズに家督継承するため、反対した家臣に切腹を命じ、自らの死の直前には3男津野親忠を幽閉するという「非情の采配」を振るった。

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徳川家康 戦国の世を「忍耐」の生き抜き徳川300年の平和を築く

三河国(愛知県)の岡崎城主松平広忠の長男。少年時代は織田、今川氏の元で人質生活を余儀なくされる。今川義元が桶狭間の戦いで横死すると、自立して織田信長と同盟関係を結ぶ。信長が本能寺に倒れると、織田政権の後継者となった秀吉と対立。小牧・長久手の戦いを経て秀吉に臣従する。秀吉死後、関ヶ原の戦いで石田三成ら西軍に勝利して征夷大将軍となり江戸幕府を開く。最終的には大坂の陣で豊臣家を滅ぼし、徳川の天下を確かなものとした。

徳川家康的最強POINT

人質時代、川で石投げ合戦をする子どもたちを見た家康は、数が多いほうは油断が生じ、少ないほうは結束するから勝つと予想。予想は見事にあたり、見事な洞察力を見せ付けた。

武田信玄と戦った三方が原の戦いで、城に籠もってやり過ごそうと主張する者もいたが、「武門の名折れ」としてあえて戦いを挑み、あえなく敗れたが家康の武名は全国に轟いた。

秀吉が所持する茶器や宝物類の自慢をされた家康は、「貴殿は何をお持ちか」と問われ、自分のために命を顧みず働いてくれる三河以来の家臣こそが自分の宝であると応えたという。

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豊臣秀吉 足軽から天下人へと駆け上がった稀代の出世男

尾張国(愛知県)の足軽の子として生まれた。織田信長に小物として仕え木下藤吉郎と名乗る。美濃国(岐阜県)攻めなどで頭角を現し、羽柴秀吉と名乗りを改め、さらに出世を重ねた秀吉は、織田軍団の中核武将へと成長する。本能寺の変で主君信長が倒れると、明智光秀を討ち織田政権の事実上の後継者となる。その後、柴田勝家や徳川家康との戦いをへて関白太政大臣となり豊臣姓を朝廷より受ける。晩年は朝鮮出兵や後継者問題に苦しめられた。

豊臣秀吉的最強POINT

朝倉攻めの際、浅井長政の裏切りに遭い織田勢は窮地に陥った。秀吉は誰もが嫌がる殿軍(しんがり)を申し出て、命からがら戦線離脱に成功。大いに武名を上げた。

本能寺の変で主君信長が死んだことを知った秀吉は、携えていた金子を惜しげもなく手勢に分け与え、電光石火の速さで引き返して明智光秀を討ち、天下人への道を歩き始めた。

小田原攻めのとき、遅れて参陣した伊達政宗を迎えた秀吉は、自らの刀を政宗に預けて二人きりで語り合うという剛毅さを見せ、若い政宗を圧倒したという。

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直江兼続 王佐の才をうたわれた上杉家の執政

上杉家臣の樋口兼豊の子。上杉景勝の近習となり、上杉家の重臣直江家の家督を継ぐ。景勝に従い、小田原の陣朝鮮出兵などに従軍。景勝が会津に転封となると、兼続も米沢城主となる。関ヶ原の戦いでは西軍として長谷堂城攻めを行った。西軍が敗れたため上杉家は米沢30万石に減封となった。以後、兼続は米沢藩の統治や民政に心をくだき、殖産興業を推進したのち、大坂の陣を最後の戦として生涯を閉じた。

直江兼続的最強POINT

上杉景勝の家臣でありながら、豊臣秀吉からその人物や器量を高く評価され、直臣となるようヘッドハンティングされたが、景勝への忠義を理由に天下人を「袖」にした。

秀吉の死後、豊臣政権内での専横を見せ付ける家康に対し、その非を徹底的に弾劾する内容の書面「直江状」送り、家康を挑発。関ヶ原の戦いのきっかけを作った。

江戸城中で伊達政宗とすれ違ったが礼をしなかった兼続を政宗がとがめると、戦場では政宗公の逃げる後ろ姿しか記憶にないので気づかずに失礼したと、平然と言い放ったという。

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本多忠勝 家康の天下を槍働きで支えた忠義の将

松平家累代の家臣の家に生まれ、早くから家康に付き従い、桶狭間の戦いにおける大高城兵糧入れで初陣を飾った。「旗本先手役」として常に家康の側に身をおき、「徳川四天王」の一人に数えられた。その鬼神のごとき戦いぶりは、姉川の戦い、長篠の戦い、小牧・長久手の戦いなどで遺憾なく発揮された。家康の関東移封により上総国(千葉県)大多喜10万石の大名となり、関ヶ原の後、伊勢国(三重県)桑名10万石に移され、桑名藩の礎を築いた。

本多忠勝的最強POINT

勇猛果敢をもって鳴らし、家康の戦った大小50余度の戦いのほとんどに出陣したが、生涯かすり傷ひとつ受けたことがなかった。

三方ヶ原の戦いの前哨戦で、忠勝は槍を振るって武田軍の追撃を阻止した。この槍、あまりの切れ味に穂先に止まったトンボが真っ二つになったことから「蜻蛉切」と呼ばれたという。

関ヶ原の戦いではわずかな手勢をもって90もの首級をあげたが、開戦前には吉川広家など西軍諸将に手紙を送って味方に引き入れる調略にも携わり、東軍の勝利に貢献した。

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賞品

特賞:「あなたの選んだ武将 聖地巡礼ツアー」

あなたが最強だと思って投票した武将のゆかりの地を巡るオリジナルツアー。このツアーでしか行けない場所や、会えない人が待っているかも!?

特賞:「あなたの選んだ武将 聖地巡礼ツアー」

ツアー事例:「信長の影を追いかけてツアー」(仮)

信長と大蛇伝説、本能寺の変に関する熱田神宮の伝説、信長が愛した女。
信長にまつわる伝説と、桶狭間の戦いや姉川の戦いなどの様々な合戦に思いを馳せるツアー。
戦国時代を激しく生き抜いた信長が残した足跡の一部を辿る。

(1日目)
午前:名古屋駅集合→蛇池→名古屋城→万松寺  昼食:ひつまぶし
午後1:熱田神宮→清洲城  おやつ:金平糖
午後2:桶狭間古戦場→生駒屋敷  夕食:焼き味噌と湯漬け  宿泊

(2日目)
午前:岐阜城  昼食:飛騨牛・郷土料理
午後:解散

※ツアーは2016年3月頃を予定しています。
※上記ツアーはあくまで例であり、実際の内容とは異なります。
※写真はイメージになります。
※賞品はお選び頂くことはできませんのでご了承ください。

さらに、最強武将ゆかりの豪華賞品をプレゼント!

  • 上杉謙信

    竹に雀トートバッグ

  • 織田信長

    デラックス版 安土城

  • 加藤清正

    デラックス版 熊本城

  • 黒田官兵衛

    1/500 新生 姫路城

  • 真田幸村

    真田の赤備え文具セット

  • 柴田勝家

    戦国武将家紋ミニトートバッグ「柴田勝家」

  • 島左近

    嶋左近
    《木曽桧》名刺カードケース

  • 島津義弘

    戦国武将Tシャツ【島津義弘】

  • 武田信玄

    本陣バスタオル 武田信玄

  • 伊達政宗

    伊達政宗
    『水玉陣羽織』ポロシャツ

  • 長宗我部元親

    【兜】長曾我部 帆掛舟
    ブックカバー

  • 徳川家康

    戦国武将家紋!徳川家康【三つ葉葵】12mm 天然石ブレスレット

  • 豊臣秀吉

    戦国武将フィギュア-ARMOR SERIES-豊臣秀吉 TypeA

  • 直江兼続

    戦国タンブラー/直江兼続【天地人・愛】ペアセット

  • 本多忠勝

    戦国武将フィギュア-ARMOR SERIES-本多忠勝

賞品提供:戦国魂しのびやTWT-JAPAN和組童友社

※写真はイメージになります。
※賞品はお選び頂くことはできませんのでご了承ください。

応募方法

応募受付は終了いたしました。たくさんのご応募ありがとうございました。

応募方法

それぞれの武将を紹介する全15番組を、投票のランキング順にカウントダウン形式で放送予定!

  • 上杉謙信

    歴史秘話ヒストリア 上杉謙信の折れない心
    ~義の武将 知られざる苦闘~

  • 織田信長

    THE ナンバー2
    ~歴史を動かした陰の主役たち~

  • 加藤清正

    THE ナンバー2
    ~歴史を動かした陰の主役たち~

  • 黒田官兵衛

    THE ナンバー2
    ~歴史を動かした陰の主役たち~

  • 真田幸村

    歴史秘話ヒストリア 真田一族 戦国最強の絆
    ~真田昌幸・信之・幸村 父と子の物語~

  • 柴田勝家

    THE ナンバー2
    ~歴史を動かした陰の主役たち~

  • 島左近

    THE ナンバー2
    ~歴史を動かした陰の主役たち~

  • 島津義弘

    歴史秘話ヒストリア 関ヶ原、奇跡の敵中突破!
    ~九州最強・島津兄弟の生きるチカラ~

  • 武田信玄

    歴史秘話ヒストリア 戦国ボス・武田信玄 最強の秘密
    ~ダメ上司から名将への道~

  • 伊達政宗

    日本史探究スペシャル ライバルたちの光芒
    ~宿命の対決が歴史を動かした!~
    「名参謀対決」伊達政宗VS上杉景勝

  • 長宗我部元親

    歴史秘話ヒストリア 美しき武将 戦国アニキの秘密
    ~長宗我部元親 信長・秀吉と戦う〜

  • 徳川家康

    THE ナンバー2
    ~歴史を動かした陰の主役たち~

  • 豊臣秀吉

    THE ナンバー2
    ~歴史を動かした陰の主役たち~

  • 直江兼続

    THE ナンバー2
    ~歴史を動かした陰の主役たち~

  • 本多忠勝

    謎解き江戸のススメ
    徳川家康の四天王~最強の側近〜

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