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- 吉村作治 エジプト博物館7

日本を代表するエジプト考古学者、吉村作治教授。
吉村教授の発掘にかける半生を振り返りながら、考古学者吉村作治が感じた"古代エジプト"をお伝えする。
【吉村作治 プロフィール】
1943年東京生まれ早稲田大学名誉教授 工学博士 エジプト考古学者
幼い頃からエジプトに興味を抱き、1966年に早稲田大学古代エジプト調査隊を組織し発掘を開始、ルクソール西岸の『魚の丘』、クルナ村の貴族墓では200体のミイラや未発見貴族墓、クフ王のピラミッド内の第2の『太陽の船』を発見した。
現在も、王家の谷・西谷やラムセス2世の王子の葬祭殿の発掘調査などをはじめ、人工衛星の画像解析により、遺跡を発見、2005年1月には約3800年前の未盗掘の完全なミイラを、2007年10月には親子のミイラを発掘。さらには『第2の太陽の船』復元に向け、精力的に活動を続けている。

第14章『ピラミッドエリアからアブシールへ・カエムワセト王子の葬祭殿発見』

第1回 「砂上車の開発」
10キロ平方の砂漠の調査権をもらっても電磁波探査レーダーがいくら可動式といっても人力で引っ張るのは無理ということで、4輪駆動車の後ろに測定機械をつけ車内に解析機器を付けることとし車の改造を行なった。
第2回 「日本での訓練」
車の改造と測定機械、解析機器の製作に約半年かかった。そのままエジプト現地に持って行くのはリスクが大きいのときっと改修が必要と考え、九十九里浜でテストを兼ねて訓練を行なった。
第3回 「広い砂漠を探査行」
重装備の車は軍事用と思われ通関させるのは困難だったが、役所まわりをしてようやく通関し、10キロ平方の砂漠をアブシールからサッカラ、ダハシュールに向かってメッシュで探査をしたが、やはり砂漠の下に何かを見つけるのは難しかった。それでも約2カ月後に光が見えてきた。
第4回 「何か反応があるぞ」
平らな砂漠やへこんだところは人間はあまり建造物や墓は造らないことが解った。ただしへこんだと言っても自然にワジの跡のようにへこんだのではなく「ポコッ」「ポコッ」とへこんだ所は墓の可能性がある。50日を過ぎたころで小高い丘にあたり、その頂部を測定することにした。
第5回 「カエムワセト王子の葬祭殿発見」
まず測定したのは、頂部表面にいくつかの土器片や人工的に細工された石があったのでここには何かがあると確信したからだ。そして最も反応のよいところを試掘したところ石の床が出てきた。最初に見たときそれはピラミッドの床面かと思ったが、2日後に石碑状の花崗岩の壁面が出て、そこに「王子カエムワセト」とカルトゥーシェが彫られていた。
エジプト博物館アーカイブ
『世界の奇妙な風習』(C)2012 A&E Television Networks. All rights reserved. 『ナチス第三帝国 知られざる真実』(c)2011 A&E Television Networks. All rights reserved. 『ザ・ユニバース〜宇宙の歴史〜S6』(c)2012 A&E Television Networks. All rights reserved.











