世界一斉放送

HUNTING HITLER ヒトラーを追跡せよ!〜浮かび上がった亡命説〜

FBI機密情報ついに公開…!11/22(日)放送開始 毎週日曜よる8時放送

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アドルフ・ヒトラーは歴史的には、1945年4月30日に妻と共に自殺を遂げたとされている。その一方で、他国へ逃亡したという説もささやかれていた。このたび公開された、70年間極秘扱いされたFBIの資料をもとに、ナチス帝国が崩壊した後にヒトラーが辿った可能性のある足取りを追う!

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番組情報

70年間、FBIの未解決事件として極秘扱いされてきた疑問を調査するため、世界中の精鋭から成る捜査チームが追跡捜査に乗り出そうとしている。その疑問とは、アドルフ・ヒトラーがナチス帝国崩壊後にドイツから逃亡していたかどうか、ということである。

2014年、FBIは何百ページにも及ぶ極秘文書の機密解除をした。アメリカ政府は、ヒトラーがドイツから脱出したことを確信していただけでなく、彼を追跡するため何百万ドルもの費用を注ぎ込んでいた。FBI初代長官のフーヴァーでさえ「ドイツ駐留のアメリカ軍は、ヒトラーの身柄確保はもとより、ヒトラーの死亡を裏付けるための信頼できる情報源すら入手できずにいる」と明言していた。

史上最悪の戦犯の謎を解くべく、FBIの文書を指針に国際捜査チームが立ち上がった。ヒトラー死亡の真実を暴くため、ナチス資金の行方、ヒトラー目撃情報、証言レポート、関係者との接触、科学捜査を経ながら捜査を進めてゆく。
本番組では、国際捜査チームによるヒトラー追跡捜査を8話にわたって追う。新たに発見された手がかりや最新技術を駆使して、ナチス帝国崩壊後のヒトラーの足取りを辿ってゆく。全8話。

放送日:毎週日曜20:00~21:00 再放送:毎週火曜11:00~12:00 他

放送情報はこちら

番特別調査チーム紹介

  • 元CIA諜報員 ボブ・ベーア

    元CIA諜報員 ボブ・ベーア

    21年もの間、CIAの第一線で暗号解読から世界的テロリストの追跡まで、様々なケースに関わる。彼の知識と経験で、膨大な公開情報にふるいをかけ、捜査を進める。

  • アメリカ陸軍特殊部隊 一等軍曹 ティム・ケネディ

    アメリカ陸軍特殊部隊 一等軍曹 ティム・ケネディ

    9.11以降、ビン・ラディンの追跡に携わり、捕獲まで導いた。彼の卓越した軍事的戦略思考に基づき、逃亡した標的の動きや足取りを深く読み取る。

  • 犯罪学・刑事司法の教授 ジョン・センシッチ

    犯罪学・刑事司法の教授 ジョン・センシッチ

    国連の戦争犯罪捜査官として、元セルビア大統領ミロシェヴィッチの国際戦争犯罪捜査に携わる。彼の分析力、情報照合力は、今回の捜査を支える。

『ヒトラーを追跡せよ!~浮かび上がった亡命説~』国際捜査チームボブ・ベーア(元CIA)、ティム・ケネディ(米軍特殊部隊)、ティム・ヒーリー(プロデューサー)、ジェイソン・ウルフ(プロデューサー) インタビュー[ ヒトラー亡命説捜査 追加報告書 ]

FBIが機密解除した「ヒトラー亡命説」の捜査に関する極秘文書をもとに、実際に世界各地で調査を行った国際捜査チームから、元CIAのボブ・ベーアと米軍特殊部隊に所属するティム・ケネディ、番組プロデューサーのティム・ヒーリーとジェイソン・ウルフにインタビューを敢行。「ヒトラー亡命説」捜査の追加報告書として、ここに記す。

ティム・ヒーリー
ティム・ヒーリー

――なぜこの番組を制作することになったのか。

ティム・ヒーリー:編成会議で、第二次世界大戦で連合軍が敗戦していたらどうなっただろうか、というアイデアが飛び出したんだ。議論の中でヒトラーの話はよく出たけれど、彼のことはもう何千回も繰り返し、伝えられている話ばかりで、目新しいものはなかった。だけど、その会議の直後にFBIが700ページ以上に及ぶ極秘文書を機密解除したことで、とても興味を持ち、話し合いのテーブルに乗せて、議論を重ねるようになったんだ。

ジェイソン・ウルフ
ジェイソン・ウルフ

――出演者を選定する基準は?

ジェイソン・ウルフ:ヒトラー逃亡説を信じていない人物であること、それぞれの分野において、最前線で活躍する有能なスタッフを揃えることを考えて選定した。ボブ・ベーアもティム・ケネディも思考力、洞察力に優れている。特にボブ・ベーアは膨大なFBIの文書に目を通し、捜査する価値があるもの、重要なものの優先順位を付け、僕たちが考えられないような観点を示してくれたよ。ティム・ケネディは、ふるいにかけられたファイルをもとに、現場での捜査を見事に進めてくれた。聞き込みの手法から、その他のあらゆる捜査の手口に至るまで、テレビ番組のプロデューサーでは思いつかないような角度から捜査するところを見せてくれたよ。

――どのような捜査方法で進めた?

ジェイソン・ウルフ:今言った通り、ボブ・ベーアがホームで情報を分析するチーム、ティム・ケネディが現場で捜査をするチームというように二手に分かれて捜査をした。それぞれの調査を進めていくと、異なった答えが出てくるからね。だから情報を総合的にとらえて調査するようにしたんだ。
現場に足を運び、実際に可能性として考えられている逃亡ルート、飛行ログ、DNA鑑定などを通して、ヒトラーが死を偽装したのではないかという可能性から、ベルリン脱出までを段階ごとに捜査した。その後、経由地の可能性としてスペイン、そしてアルゼンチンに行くまでのルートを調査した。第1話の段階ではFBIのファイルをもとに捜査し、その捜査で分かったことをさらに捜査していく……という感じだったよ。

ボブ・ベーア
ボブ・ベーア

――元CIAとして、ボブ・ベーアはこのプロジェクトをどう感じた?

ボブ・ベーア:このプロジェクトについて、僕は本当に亡命した証拠があるのだろうかと、疑わしい気持ちを持ったよ。旧ソ連軍の残した証拠も信用できるものではなかったからね。でも、実際に捜査を行ってみると、僕自身どんどん捜査に引き込まれていった。ヒトラーはベルリンを脱出することが可能だったのか、知りたくなってきたんだ。僕はCIAで21年間、実際の目撃情報と確かな証拠をもとに事件の捜査・追跡を行っていた。今回のケースは70年前という非常に古いものだったけれど、様々な情報を鑑みてもヒトラーが死を逃れて逃亡したことが現実的なものと思えるようになったよ。
僕はいつもヒトラーのように捕えにくいターゲットを追いかけてきた。あるターゲットの一人は、私の上司を2人殺害した。一人はベイルートの駅を爆撃され、もう一人は誘拐され、殺害された。そんな危険な環境下でキャリアを積む以上、何が重要かそうでないかの判断が即座につくようになるんだ。僕の追跡・捜査の専門性を今回のプロジェクトに活用できたことはとても良かった。

ティム・ケネディ
ティム・ケネディ

――特殊部隊に所属するティム・ケネディはどのように感じた?

ティム・ケネディ:僕は特殊部隊のキャリアの中で、ヒトラーのような存在を捕らえたいと常に思ってきた。サダム・フセインやビン・ラディンなど、ヒトラーのような存在に共通するのは、異様なほど執念深く生き延びるという部分だ。彼らは死に方を知らないし、どんな環境でも執念深く生き延びる。ビン・ラディンもトラボラの洞窟に潜んで、逃亡し続けたわけだから、ヒトラーにもできたと考えられる。だから、僕の経験を活かして、歴史を紐解くことに協力できたのは光栄だったよ。

――(ティム・ケネディに対して)今回のヒトラーのケースとビン・ラディンの追跡では類似する部分、または相違点はあった?
(※ティム・ケネディはビン・ラディンの捜索チームの一員)

ティム・ケネディ:まずは共通点だけど、恐怖心を巧みに利用していたことだ。そして衝撃的だったのは、彼らの信奉者たちがいかに盲目で従順で、熱狂的だったかということだ。信者にとっては、ヒトラーやビン・ラディンが神のような存在で、彼らに関することは何でも盲信した。ヒトラーやビン・ラディンを守るためなら死ぬことも厭わなかったし、信者にとっては絶対的な存在だった。狂信していたということだよ。ビン・ラディンの信者はビルに激突した。ヒトラーの信者はユダヤ人を多く殺害した。その熱は、いまだに僕らが訪問した場所で受け継がれていたことを感じたよ。恐ろしいことだけど。
一方で、大きく異なると感じたことは、信奉者の素養の高さの違いだ。ナチスは狂人ではあったけれど、複雑な技能や知識を持ったインテリが多かった。それに対してビン・ラディンの信奉者たちは、決してそうではなかった。ハイテクの今日の世界においても、最新技術を装備する知識までは持ち合わせていなかった。

――いくつかの場所は取材を許可されなかったようだが、そこにはどのような困難があった?

ティム・ケネディ:どこに行っても壁にぶち当たり、捜査が不可能に思えたよ。特に南米はどこも大変だったね。どこに行っても政府に禁じられている、これには署名できないなど、拒否の連続だったから。それはブラジル、コロンビア、アルゼンチンのどこでも共通していたよ。
これはアルゼンチンでの話だけれど、そこの住人たちの文化の中には、ナチスやヒトラーに関するトピックについて、特に外国人には語らない、ということが根付いているようだった。体中にカギ十字を刺青したネオナチたちに尾行され、僕らが行こうとした場所を阻害されたこともあった。ナチスを崇拝した人々の孫世代が僕らを追っていたんだ。

――捜査には最新テクノロジーを駆使しているが、70年前の事件でも役に立った?

ボブ・ベーア:2005年のレバノン首相暗殺の捜査のとき、爆撃を自白した男たちの電話回線を全て調査することで、最終的に犯人を突き止めることができた。今日の地中レーダーや科学捜査などの技術は驚きのレベルだよ。科学捜査の結果を見れば、なおさらヒトラーが逃亡したのではないかと思わざるを得ないね。

ティム・ケネディ:今の軍の最新テクノロジーでは、ターゲットの親戚などから血液サンプルを採取することで、ターゲットの情報を掴めるんだ。ビン・ラディンのトラボラの潜伏を突き止めた時もそのような最新テクノロジーを駆使し、本人であることを突き止めることができた。だけど、ヒトラーの場合、死んだことを立証するものは何もない。あらゆる血縁者から血液サンプルを入手して調査をすれば、本人のDNAを判断できるんだけどね。

――ソ連軍が回収したとされるヒトラーの遺体からDNA情報が判明するのでは?

ジェイソン・ウルフ:実際にロシアが管理しているヒトラーのDNAサンプルにアクセスすることができた。それをこちらで調査すると、30代の女性のものだということが分かった。もしかするとエバ・ブラウンのものでは、という新たな疑問が浮上した。

ティム・ヒーリー:そのDNA結果を受けると、ヒトラーの所持品や所在、またはその後の足取りについて疑問を持たざるを得ない。将来的に今回判明した30代女性のDNAとエバ・ブラウンの遺族のDNAとを照合させてもらえると決定的な大発見になるかもしれないね。

――(ティム・ケネディとボブ・ベーアに対して)プロジェクトは満足のいく結果となった?

ティム・ケネディ:僕にとってはまだ不満が残っている。アメフトで例えると、9ヤードのラインまでは走ってきたのに、という感じだ。僕らが訪れた全ての場所では入手したい答えは手に入ったが、さらなる疑問が次から次へと浮上した。まるでパンドラの箱を開けてしまったかのようだった。
捜査に参加するまでは『ヒトラーは逃亡したのだろうか?』という疑問を抱いていたが、聞き込み調査と、あらゆる角度からの検証で、今では『逃亡した』ことを確信しているよ。

ボブ・ベーア:このプロジェクトに参加し始めた頃は『ヒトラーは地下壕で死亡した』という通説を信じていたけれど、調査が進めば進むほど僕の中での見解が覆されていった。今では『ヒトラー死亡』の通説を100%は信じていない。調査の中で突き止めたいくつかの目撃情報をまとめると、やはりヒトラーは逃亡し、逃亡先で死亡した可能性が高いと考えられるからね。今ではヒトラーを題材にした番組を観ると、僕の中で様々な説が存在することを意識するようになった。だからこそ歴史の探究は快感なんだ。現代、近代、古代と、おおよその歴史は、どの出来事も確実に立証することができないし、正解も存在しない。それに対する探究は永遠に続く。今回のプロジェクトは、僕個人にとっては大満足の結果になったと言えるよ。

――『ヒトラーを追跡せよ!~浮かび上がった亡命説~』の見どころについて

ジェイソン・ウルフ:FBIがこの極秘文書の機密解除をするまでに70年間を要していることと、僕たちが全く知らされていなかったことが実際に起きていたということを知ってほしい。事実は常に歴史の教科書通りではないということを感じて欲しい。僕らは地球上のどこで暮らしていても、現状を受け入れながら生活している。いま受け入れている事実は受け入れやすいものかもしれないけど、確実で揺るぎないものかは疑わしいということなんだ。考えだすと狂いそうになるけど(笑)

ティム・ヒーリー:僕が伝えたいのは、実際のストーリーの裏側には常に隠された何かがあるということだ。1945年にアメリカ国民に伝えられたニュースは、実は事実ではなかったということを、この機密解除された極秘文書が証明している。実際には調査が行われていたわけだからね。だから、いま目の前にしている事の裏側には、もっと多くの事実が潜んでいるかもしれないという可能性を感じながら番組を観て欲しい。僕らが普段見過ごして疑問にも思わないようなことが逆に陰謀だったりすることもあるかもしれない。

ボブ・ベーア:僕が感じた今回の教訓は、歴史は常に再考証が必要だ、ということだ。ニュースであっても、歴史的な出来事であってもね。間違っている場合があるから。年月が経過して初めて真実が明らかにされることもある。将来的にも検証を続けてゆく必要があると感じている。事実を明らかにしない限りは、未来とも向き合えないと思うんだ。

ティム・ケネディ:僕も彼らと同じ意見だけど、同時に全く違う意見もある。この番組制作は本当に大変だった。もし視聴者が娯楽番組を求めているとしたら、これはまさにその通りの番組だ。ボートから極寒の海に飛び込んだり、ナチス狂信者たちに尾行されたり、真っ暗闇の中、人目を盗んで潜水して手がかりを探しに行ったりと、ストーリー展開に目が離せないはずだ。元CIAや特殊部隊隊員が、当時のヒトラーを実際に追跡・調査してゆく番組なんて、考えただけでもゾクゾクするはず。僕がボートから沼に飛び込んだり、ペンギンを避けながら流氷の上を調査したりするんだ。面白くないはずがないぜ。本当に楽しんで観てもらえることは間違いないよ。

※『ヒトラーを追跡せよ!~浮かび上がった亡命説~』の捜査から、可能性があるということにすぎず、決して事実として認めるものではないことをご承知いただきたい。

ヒトラー逃走“地下トンネル”潜入レポート

70年間、FBIの未解決事件として極秘扱いされてきた疑問を調査するため、世界中の精鋭から成る捜査チームが追跡捜査に乗り出そうとしている。その疑問とは、アドルフ・ヒトラーがナチス帝国崩壊後にドイツから逃亡していたかどうか、ということである。

#1 ドイツ・ベルリン編

 ベルリンに到着した我々は“地下トンネル”への潜入の前に、市街地を回ってみることにした。70年経った今、街はどのように甦ったのか、戦争とどのように向き合っているのかを見たかったからだ。
 第二次大戦末期、ドイツ・ベルリンはそのほとんどを連合国軍に占拠され、爆撃され、街も人々もボロボロになった。そして、冷戦時代には国が2つに分かれ、そこに住む人々もまた二分された。
現在のベルリンの街には、今なお大戦~冷戦時代の傷跡が多く残されている。ゲシュタポ本部の残骸(写真1)、銃痕(写真2)、爆撃で焼けた石柱(写真3)、ベルリンの壁の一部(写真4)など、すべては意図的に残されているのだろうが、しっかりと保存されているものもあれば、なんとなしに歩いていて見つけるものもある。また、過去の過ちを刻んだオブジェクトが街のあちらこちらに点在している(写真5、6)
この街は戦争の記憶を、生活のすくそばに、目に見える形で、生々しく残していた。


  • 写真1:ゲシュタポ本部のあった建物の柱の一部が展示されている。

  • 写真2:銃痕。ベルリン市民曰く、旧ソ連軍の機関銃によってつけられた傷痕。

  • 写真3:爆撃により石柱が焼け焦げてしまった。半分は新たに作り直した。

  • 写真4:ベルリンの壁には当時の人々の苛立ちや不安などが映し出されている。

  • 写真5:ホロコースト記念碑。大きさのバラバラな約3000枚のコンクリート製の石碑が並ぶ。

  • 写真6:ベーベル広場の地面に存在する空っぽの書棚。この広場でナチスによる焚書事件が起きた。

  • 写真7:ベルリン大聖堂。空襲により大破していたものを修復。

  • 写真8:旧博物館。世界遺産の「博物館島」にある博物館の一つ。

 ベルリンの街、特に旧東ドイツは空が広い。それは建物の高さが法律で規制されていたからだそうだ。その分、横に大きく、共産主義だった名残なのか、歴史的建築物が多い(写真7、8)。一方、旧西ドイツは近代的な建物も多く、街の造りも日本に似ている。

 ヒトラーが選民思想のもと、心に恐怖を植え付け、コントロールしながら、ヨーロッパの国々を支配していった、その舞台の中心でもあるベルリン。街のいたるところに暗い過去が残されているものの、この街に生きる人々の目に暗さはない。
だが、心の底に何が存在するのかまではわからない。優しい素振りの裏側には怪しい思惑があるかもしれないし、ぶっきらぼうな態度の裏側は愛情で満ち溢れているかもしれない。光が灯った目をしていても、心には暗闇が横たわっているかもしれない。目に映るもの、聞いたもの肌で感じたものが100%の真実だとは限らない。それは『歴史』にしても同様だ。

 我々はタクシーで移動する際、ベルリン市民でもあるタクシードライバーに、こんな質問をした。
「大戦中、ヒトラーがベルリンから亡命した可能性はあると思う?」
それまで窓に映る景色を笑顔で説明していたドライバーは、その質問を聞いた途端、笑顔を消し、荒々しく尖った声で言った。
「そんなのは旧ソ連軍の流したデマにすぎない。ヒトラーはあの時、死んだ」

#2 テンペルホーフ空港編


写真1:テンペルホーフ空港。今はイベントスペースなどとして利用される。


写真2:戦後、ナチスのシンボル撤去のため、米軍によって回収されていたが、現在は頭だけが戻って来ている。

 ヒトラーが潜んでいた地下アジトは、ベルリンの象徴ともいえるブランデンブルク門のすぐそばに存在した。第二次世界大戦末期にはベルリンのそのほとんどが連合国軍に押さえられており、ヒトラーはその地下アジトに居住し、そこから指令を出していたようだ。
 そんなベルリンから果たして逃亡が可能だったのか。一つの方法に、航空機で国外へ逃亡する方法があった。ゲルマニア計画として、第一次世界大戦の後に建てられたテンペルホーフ空港からの空輸逃亡だ。この空港は当時まだ連合国軍に押さえられていなかった。
 ヒトラーが最後に公の場で目撃された翌日に、この空港から大量のナチスの人間たちが高飛びしたという。その航空機にはヒトラーのスーツケースも積まれていたようだった。(『ヒトラーを追跡せよ!~浮かび上がった亡命説~』本編内で詳しく語られるが、ここでは割愛)
 ここで問題が浮上する。地下アジトを出て、連合国軍に占拠されたベルリン市街地を移動し、空港へたどり着くのは現実的に無理だった、ということだ。しかし、これには当然ともいうべき回答が存在する。
 ベルリンの街には、ナチスが作った地下トンネルが多く存在していた。地下トンネルは地下鉄の線路とも繋がり、街を覆うような巨大なトンネル網を形成していた。これは地下アジトとも繋がっていた。つまり、地下を移動することで連合国軍に見つからず、空港へ向かうことができたのだ。いや、正確には「向かうことだけならできた」になる。
 なぜそのような言い方になるのか。ベルリン市街に張り巡らされた地下トンネル網はテンペルホーフ空港には繋がっておらず、空港まで残り約200メートルのところで途切れてしまっていたからだ。空港の地下にもトンネル網が存在していたが、二つの地下トンネル網は繋がれていなかった。約200メートル。街を覆うほどの地下トンネル網を作る組織が、たったこれだけの距離を本当に繋げなかったのか。その疑わしさから、「この『空白の距離』を繋ぐ、未確認の地下道が存在する」との噂は常に流れ続けていた。

 我々は空港の地下トンネルへ潜入するため、番組にも出演している歴史家のサシャ・カイルの案内の元、テンペルホーフ空港へ向かった。
 空港はその巨大さには似合わない、ひっそりとした雰囲気を漂わせている。(写真1)空港の正面にはドイツの象徴でもある鷲のモニュメントの頭部のみが設置されている。(写真2)サシャが語る。
「ナチス・ドイツの時代でも、カギ十字に鷲をあしらったシンボルマークを使用しました」


写真3:テンペルホーフ空港の地下トンネル網から地上に向かって伸びる、戦闘機製造工場。


写真4:踊り場から延びる隠し階段。この右側に別の階段が存在する。

 地下トンネルに向かう間は坂道が多く、施設の下を何度もくぐった。空港に到着した時と同じ高さにいるのか、高い位置にいるのか低い位置にいるのか、高低差が分からなくなるほどだ。
 そして、今までくぐってきた坂道とは大きさがまるで違う、下り坂に差し掛かる。広く高いスペース。(写真3)サシャは中に入ると、このスペースの説明をする。
 「1942年から1945年の間、このトンネルの中では戦闘機が作られていました。地下から地上に向かって、徐々に戦闘機を組み立てていき、トンネルを抜けるころには完成しているというシステムで運用されていました。ここはスペースも大きくて、敵から逃れることのできる安全な場所でした。また、地下トンネル網に続く道が存在します」

 旧戦闘機製造工場を通り抜け、施設の中に入る。目の前に現れた階段を下っていくと、次第に階段室は元ある照明だけでは明らかに光量が足りないほど暗くなっていく。自然光が入らない地下にまで、やってきたことを認識する。
 最下層手前の階段の踊り場で、サシャは立ち止まり、話し始める。
 「ここから見える中央の階段(写真4)はもともと壁で覆われていて隠されていた、隠し階段です。今では壁が取り払われ、むき出しになっています」

 隠し階段は現在降りられないようになっているため、その横に新造された別の階段をくだる。階段の先には重厚な鉄の扉がある。サシャが扉を開くと、中から絶望が噴き出したのではないかと思うほど、重々しく軋む。
 「この先が地下トンネルです。爆弾によって爆破され、その際の高熱で色々なものが溶けてしまっています。コンクリートですらも。コンクリートを燃やすのには約2000~3000度の熱が必要です。爆破されてから2~3週間の間、高い温度で燃え続け、黒煙が配管を通って上空に上っていたそうです」

#3 地下トンネル編


写真1:フラッシュを用いて撮影。明るく見えるが、実際は地下トンネル内には照明が存在していないと感じられるほど、暗い。

 ヒトラー亡命説。その真偽のほどを確かめるため、ヒトラーが逃走に使ったと考えられる地下トンネルへの潜入を試みる。

 重厚な鉄の扉が開かれる。中をのぞく。中は照明がいくつかあるものの、ほとんど役に立たないほど、あたりの闇は濃い。
闇の中へ、地下トンネルの中へ足を踏み入れる。サシャから手渡された、懐中電灯で足元や手元を照らさなければ、先は見えない。(写真1)

 闇を濃くしているのはススにまみれた壁のせいか。壁を光で照らすと、むき出しになった鉄骨の骨組み(写真2)や、崩れかけたパイプが見える(写真3)。ススまみれの通路の壁にはススを削るように描かれた落書きがあり、放置されてから多くの年月が過ぎたことを感じさせる。


写真2:壁は崩れ落ち、土台の鉄骨がむき出しになっている。


写真3:パイプは錆びつき、中身が露出している。壁はスス、埃を削った落書きが多く見受けられる。


写真4:部屋の両側からは通路へ出ることができる。通路は部屋の外周を一周するように作られている。


写真5:部屋の中には様々な配線が詰まったボックスと、水道管らしきものが見える。

 地下トンネル内の通路のわきにはいくつかの部屋(写真4)が存在し、そのいずれも高さは3~4mほどはありそうだが、窓もなく、無機質なコンクリートの壁で作られた部屋のため、強烈な圧迫感があり、息が詰まる。

 サシャがある部屋の前で、話しはじめる。
 「この地下トンネルは水道や電気などのインフラが整っています(写真5)。ヒトラーは自分の権力が消滅した時、公の建物は全て爆破するよう、命令を出していました。しかし、生き残るために、水道と電気が整ったここは保存していました。彼は処刑されることを恐れていたのです。戦後、連合軍は市民の生活に役立てるため、また自分たちの為に、インフラが整ったこの空港を含む、いくつかの場所は爆撃しないよう決めて、それ以外の場所は全て爆撃しました。ベルリンの地の約70%ほどが爆撃されました」

 来た通路を戻り、階段を上る。重々しい空気の地下トンネルを脱し、地上に戻るのかと思ったが、サシャの案内でそのまま別のフロアに行くことになった。
小さな扉。新たに立ち寄った場所には、扉のサイズが70~80cmほどの小さな扉が存在する。サシャが懐中電灯の明かりを向け、小さな扉を指し示す。(写真6)


写真6:小さな扉の向こう側は細い、通気口のような道が空港の地下トンネル網へと繋がる。しかし道は『空白の距離』で閉ざされていた。

「この扉です。ここからテンペルホーフ空港の地下トンネルに入ることができ、東西南北どこへでも行き来ができました。地上にもつながっているルートもあります。しかし、市街地の方面に延びる地下トンネルは途中で道を閉ざしていました。そこが『空白の距離』にあたる場所です」
ベルリン市街の地下トンネル網とテンペルホーフ空港の地下トンネル網は繋がっていない。約200メートルの地下トンネルが存在しない距離、『空白の距離』が存在していたからだ。つまり市街地から空港まで、地下トンネルを通じて、脱出することはできなかった、というのが今までの通説だった。では、ベルリン市街の地下トンネル網で、最も空港に近づくところ(空港まで残り200メートル地点)まで行き、あとは地上を通過して、空港に入ったのか。その疑問を口にするとサシャは語る。
「ヒトラーほどの重要な人物が、連合軍が包囲している地上を進むわけがありません。それ以前に進めないと思います。やはり、地下を通る必要があるわけです。そこで我々捜査チームは『空白の距離』にあたる部分を調査しました」

 テンペルホーフ空港の地下トンネル網を抜け出し、『空白の距離』の存在する方向へ歩みを進める。そちらにはプラッツ・デア・ルフトブリュッケという名前の広場が、そしてその向こうには、戦時中、地下トンネル網の一部として機能していた地下鉄の駅が存在する。位置的にいえば、プラッツ・デア・ルフトブリュッケを挟んで、空港と市街地が存在することになる。つまり、我々が『空白の距離』と認識していた場所が、プラッツ・デア・ルフトブリュッケであった。
 我々はサシャの案内の元、プラッツ・デア・ルフトブリュッケの中へと進んだ。(写真7)


写真7:プラッツ・デア・ルフトブリュッケ。向こう側に見えるのが空港。芝生が生えた広場であり、モニュメント以外は何も存在しない。

 サシャが語る。
「『プラッツ・デア・ルフトブリュッケの地下、つまり『空白の距離』にあたる場所には、本当に地下トンネルが存在しないのか。地下トンネルが存在し、ベルリン市街地の地下トンネル網と、テンペルホーフ空港の地下トンネル網を繋いでいれば、ヒトラーの逃亡が可能だったことの証明になる』。そう考えて、最新技術を搭載したX線レーダーを使い、プラッツ・デア・ルフトブリュッケの地下を調査しました。その結果、プラッツ・デア・ルフトブリュッケの地下には何かしらの空間と、通気口らしきパイプが存在していました。その両端は、一方がベルリンの市街地の方角を向いており、もう一方はテンペルホーフ空港の方角へ伸びていました。しかし、通路の両端は壁(行き止まり)になっていて、塞がれていましたが」
しかし、ふさがっていたことに落ち込む様子はない。むしろ、何もないと思っていた場所に、地下空間が存在したのだから、市街地と空港が繋がっていた可能性を証明するきっかけになったと喜ぶ。
「繋がっていない、という事実に注釈をつけるならば、『今のところは』という言葉でしょう」
 そう喜ぶが、現在、調査はストップしてしまっているという。
「壁を壊して調査するには、ドイツの許可を得る必要があります。しかし、この場所に空間やパイプがある、という理由だけでは、広場全体を封鎖して調査することはできません。完璧な裏付けがないと申請の許可をもらえないのです。なので、まだここが解明されていないということは理解してください。プラッツ・デア・ルフトブリュッケの地下道に入ることができた時、何か秘密が明らかになるかもしれません」

 ――秘密が明らかになるとき。それはすぐそばまで迫ってきている。Xデーは11月22日(日)。決定的瞬間を目撃するのは、『ヒトラーを追跡せよ!~浮かび上がった亡命説~』を視聴するあなたなのだ。

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